問いの奥へ

入試で示される「点数」は、決してその子のすべてを語っているわけではありません。むしろその背後には、学校が本当に見ようとしている力、選びたい生徒像が静かに隠されています。それをどう読み取り、どう子どもに接していくか――そこに、本質的な受験の意味があります。
まず私たちが知っておきたいのは、「得点化」という表現の奥にある、見えない評価の基準です。単に答えが合っているかどうかだけでなく、その解答に至るまでの“筋道”や“発想の起点”までを見ようとする視線が、近年の難関校では当たり前になっています。つまり、「正解を知っていた」よりも、「どうやってそこにたどり着いたか」が問われているのです。
この評価の目線は、教科ごとに色合いが異なります。国語であれば、本文からどう情報をつなぎ合わせたかという構成力や、言葉を使うときの温度感のようなものまでを見ています。数学であれば、答えそのものではなく、そこまでにどのような図や式を立てたかといった思考の組み立てが重視されます。理科や社会では、暗記を超えて「この事実をどう使うか」「他の知識とつなげられるか」が見られています。つまり、同じ点数でも、その意味する力の内実はまったく違うということです。
また、入試において「内申」と「本番」は同じ土俵にあるように見えて、実は見ている角度が異なります。内申は、子どもの日々の姿勢や努力を、学校という生活の場で見つめてきた記録です。一方、本番は、限られた時間でどう自分を出せるか、集中力や判断力を問われる瞬間の試練です。どちらも一方的な指標ではなく、両者がそろって初めて、その子の「伸びる力」や「向き合い方」が浮かび上がるのです。
そして何よりも、数字には表れない“選抜意図”に目を向けることが大切です。たとえば、なぜこの順番で問題が並んでいるのか、なぜ最後に一見平易な問題が置かれているのか。そこには、出題者が「何に気づいてほしかったか」という教育的なメッセージが込められています。入試問題は、単なるスクリーニングではなく、ある意味で学校からの「招待状」のようなものなのです。
だからこそ、見るべきなのは「何点取ったか」ではなく、「その点にたどりつくまでに、何を考え、どこで止まったか」です。子どもが間違えた問題は、失敗ではなく“今の地点”を示してくれる地図です。その誤答の理由を、冷静に受け止め、温かく支える視線こそが、これからの伸びを決めます。
数字の奥にある質。その層を見抜ける大人がそばにいるかどうかで、受験はまったく違った意味を帯びてきます。ただ点を取らせるだけの指導ではなく、その背後にある「なぜその点だったのか」に寄り添う姿勢こそ、私たちの最も大切な役割になるのです。競争の中でも子どもを孤立させず、評価の本質をともに見つめる目線を持てたとき、受験は単なる通過点ではなく、かけがえのない成長の機会へと変わります。

答えはすぐに見つからないかもしれません。でも、自分で問いを持てる子は、やがて自分の道を選び取っていけるはずです。私たちは、その力を信じています。

 

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